自己との関係の再構築

 先日読んだ本、『自殺の心理学』に書かれていた「精神療法の目標」12ヵ条、そのうち私自身に当てはまった9ヵ条を思い出している。二項対立的思考からの解放、優先順位付け、適切な自己表現、曖昧さに耐える、衝動性の抑制、危険予測、問題解決能力の向上、他者との関係の再構築、そして自尊心を高めるということ。

 二項対立的思考とは、鬱病の典型である。葛藤に耐えるという意味では、曖昧さに耐えることもそこに含まれる。二項対立からの解放とは、適切に自己表現することによって可能となるように思う。自己表現とは、束縛からの解放であるが、保守的な発想としては、自由は不自由の際において生じるために、衝動性の抑制をいつも意識せねばならない。それは、危険予測能力があって初めて可能になる。想像力と呼び変えてもいい。

 鬱病とは閉塞感、深刻、孤立無援、焦燥感、寂寥感、葛藤、矛盾といったような感情と思考と身体の束縛状態である。躁病とは、万能感、多幸感、不安定感、乗っ取られ感(地に足が付かず、落ち着かない、自分が自分でないような感覚)、解放感。躁病は、「過剰」という概念として考えればいいのかもしれない。節操がなくなる病気である。まとめれば、鬱病とは死にたくなる病気である。躁病とは節度がなくなる病気である。

 

 ところで、この二つの症状を併せ持った状態というのもある。混合状態である。

 

躁(軽躁)とうつの混合状態

うつ状態と軽躁(あるいは躁)の状態は交互にくることもありますが、いっしょに来ることもあります。気分、思考、行動というようにわけてみるとわかりやすいかもしれません。例えば、気分は高揚しているのに思考はうまく進まないとか、頭は回るのに行動にならないとか、気分は落ち込んでいるのにすぐに行動できてしまうなどのように、気分、思考、行動がばらばらの状態になっていることが多くあります。そのような状態を躁(軽躁)とうつが混ざっているという意味で、混合状態と言います。うつと躁とが切り替わるときにも混合状態になります。

双極性感情障害 - メンタルヘルス情報 | ルーセントジェイズクリニック - 名古屋駅の心療内科

 

 気分は高揚していて、思考はうまく進まないというのは、今日の私をぴったりと言い表しているように思う。落ち込んでいるのに、体はきびきび動くという時期もあった。気分、思考、行動の3つの観点を関連させて考えるのは、良いヒントになるかもしれない。

 

 鬱病が主に気分に強く働きかけるのに対して、躁病は思考を麻痺させるような働きがある。鬱病でも働けるのは、気分が悪くても思考は「まとも」であり、むしろ極めて現実的で、実践的になっているからだ。*1躁病は、仕事ができない。非現実的な計画や、実現困難な約束をしてしまって、更に悪いことに、この状態になるといくらでも嘘が吐けるような気になるのだ。分かりやすく言えば、酒を飲んで気分がハイになっているようなものだ。まともな仕事ができるはずがない。軽躁状態は、一時的に気分には良い影響を及ぼすが、そのあと必ずひどい落ち込みを迎える。それは気分的にもそうである以上に、軽躁状態の時の己の振る舞いが、後々になって恥ずかしく感じられ、また実現不可能な約束をして、取り返しのつかない過ちを犯してしまったと自己嫌悪になるからである。私は段々と約束することが恐ろしくなってきた。社会的信用というものを恐れるようになった。自己不信であると同時に他者不信である。

 

 躁において必要なことは、感情のマネジメントである。特に、今の仕事は「感情労働」的側面が強い。医者も言っていたが、少し鬱っぽいくらいが丁度良いらしい。軽躁状態のほうを恐れるべきであって、抑うつは、自殺に至らない限り(ということは、自殺について考えることは、自殺衝動や自殺願望を理性によって抑制しているということなのだから、むしろ正常なのだろう)大丈夫である。

 

 問題解決能力の向上と他者との関係の再構築については、今の私にはかなりハードルの高い課題かもしれない。それは高すぎるゴールである気がする。私は、まず、自己との関係の再構築を果たさなければならないと思う。だが、それは可能だろうか。私は如何にして自己嫌悪を止めることができるのだろうか。嫌悪する自己と嫌悪される自己の間をどうやって仲を取り持つことが可能だろうか。私の課題は、まずそこからであると確信する。

*1:悲観主義が現実には実用的であることの証左でもある