Excelは健康であり、Wordは病的である

 健康について考えている。健康の定義とは何だろう。広辞苑を開いてみる。

 

健康(health)

身体に悪いところがなく心身がすこやかなこと。達者。丈夫。壮健。また、病気の有無に関する、体の状態。

 

 興味深いと思うのは、健康の定義は、「不健康でない」という否定的な定義しか与えようがないという事実である。では、病気とは何か。それこそ何万項目にも渡る記述が出来るだろう。

 

 WHO(世界保健機関)は、健康をどう定義しているだろうか。

 

1947年に採択されたWHO憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」この健康の定義は、いまも世界中でひろく使われています。

 

japan-who.or.jp

 

 国連の定める健康の意味領域は人類普遍的に広大で、私の手に負えない。

 

 広辞苑の定義を使いたい。つまり、健康とは病気ではないということ。或いは、健康とは達者であるということ、丈夫で、壮健なこと。これらの類義語は挨拶で使われる。「ではまた、御達者で」「ご壮健で何よりです」誉め言葉である。「丈夫だけが取り柄でして」謙遜の言葉でもある。健康とは、つまり、評価の言葉であり、至上の価値というものではない。国連のいうような「全てが満たされている」などという埒外な意味ではない。

 

 とにかく、私は、健康の意味を考え直している。健康とは個性的なものだ。個性について考えるとは、その人間の健康概念について考えることだと言ってよい。私の健康概念は、病気ではないということ。では、私にとって病気であるとは何か。

 

 最近、心身の健康管理として、毎日記録を付けている。起床時刻、就寝時刻、食事記録、体重や体脂肪率BMI、筋肉量といった数量化できるものをデータ化している。また、精神的な健康チェックとして、抑鬱感、無気力、嫌悪感、解放感、万能感、多幸感の有無を記録している。最初の3つが鬱状態の、後ろの3つが躁状態の徴候として定義している。これらをエクセルで記録している。アプリでやるより、自作感があって継続している。現在、26の記録・評価項目がある。私はこのような自己管理がとても好きらしい。自分がどれくらい「病気」なのかを知ることで初めて安心できる。*1

 

 再び三木清『人生論ノート』より

 

客観的なものは健康であり、主観的なものは病的である。この言葉のうちに含まれる形而上学から、ひとは立派な養生訓を引き出すことができるであろう。(「健康について」より)

 

 私は、最初、病気を癒そうとしてブログを始めた。それは、しかし逆効果だった。なぜなら日記とはどこまでいっても主観的なものであって終わりがなく、「病みつき」になるからである。私はブログに病みつきになった。あらゆる思考と感情を言語化した。だが、それは当初の目的を失って、手段が目的化したと言ってよい。ブログは趣味になったが、治療にはならなかった。だから、今、エクセルで管理しているような客観的な数量計算ソフトの方が、ずっと健康に資するのである。

 

 心理学者でベストセラー作家の東畑開人さんの言葉遣いを真似れば、「Excelは健康であり、Wordは病的である」とでもなろうか。

 

 私はエクセルで健康的になって、はてなブログで病的になっている。そうやって帳尻を合わせている。

 

*1:その意味でこういう記録は資産管理と似ているかもしれない。健康をエクセルで管理するとは、健康を資産として、すなわち所有物として解釈する、評価するということだ。